AKBと比較しててどうするんです。

■枝野氏「野党第1党だけど神セブンには入れていない」

(朝日新聞デジタル - 02月24日 16:54)

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が2戦連発!!鮮やかに抜け出し、最後はループで決めた!2ブンデスリーガプレミアリーグラリーガで全試合中継開始。

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和楽器バンドが千本桜で批判されているそうですが、最初は和楽器のよさを知ってもらうために、有名な千本桜を始めとするボカロ曲中心でアレンジしてヒットして、そこから今では自分たちが作ったオリジナル中心で活動しているわけですし。特にわが物顔で千本桜を演奏しているわけではないかと。

春日部市さんぽ「永沼・雷電神社から宝珠花神社」

春日部市さんぽ「永沼・雷電神社から宝珠花神社」

○「下柳香取神社」(春日部市下柳368)

東武野田線藤の牛島駅から北東に向かうと、イオンモール春日部の南東に「下柳香取神社」があります。創建は、古名主と呼ばれる石川正治家の土着と共にあると伝えます。石川家の先祖は、家系図によると松伏村の豪農・石川民部に次男である甚左衛門で、正保年中(1644-48年)に当地に移住し一家を成しました。当社はこの時、石川家が氏神として祀ったといわれ、祭りも初めは同家を中心に行なっていましたが、当地の開発が進み、村人が増加するに従って村鎮守として祀られるようになりました。明治6年南桜井村の村社となりました。御祭神は経津主神。境内には、浅間・三峯・小御岳・影桃稲荷などがあります。社傳裏に、浅間神社でもないのに富士塚があります。もともとは富士塚だったのが、あとから香取神社がやってきた可能性もあります。

○「雷電神社」(春日部市永沼1229)

南に向かうと、藤の牛島駅南東に「雷電神社」があります。大正元年に村社の八幡神社に合祀されましたが、書類上の合祀にとどまりました。これは、運営費を捻出できる歩射面と呼ばれる水田を所有していたからです。御祭神は大雷命。

○「二霊神社」(春日部市赤崎249)

南に向かうと赤沼交差点の東、中川沿いに「二霊神社」があります。明治39年、古くから祀られていた稲荷神社に、沖通の日枝神社が合祀されたことにより二霊神社と改称しました。『郡村誌』によると、「村の開発は寛永年間(1624-44年)から正保年間(1644-48年)にかけて行われた。旧家は当社に隣接して居を構える井上家で、口碑に「稲荷様は井上家の氏神であったが、いつのころからか村の鎮守として祀られるようになった」とあります。御祭神は宇迦御魂神・大山くいの命。当社の本殿には、金幣・神鏡・神璽・荼枳尼天像のほかに、合祀日枝神社の旧本地仏である十一面観音像が納められています。鎮座地は、庄内古川を望む見晴らしのよい地です。合祀社の日枝神社については、字沖通の社地に社殿が現存しており、祭りも続けられています。 その創建は不詳であるあ、神社に連接して道珍寺(氏子は寮と呼ぶ)が建っていることから、神仏分離までは道珍寺により管理されていたことをうかがわせます。

○「愛宕神社」(春日部市米崎208)

北に向かうと、川辺小学校の北西に「愛宕神社」があります。創建は慶安元年とあります。また、鎮守として愛宕神社を勧請した背景には、江戸時代まで当地は下総国葛飾郡しており、同じ野田にある愛宕神社が「野田開発後、火の災いを防ぐと山城国より勧請し霊験あらたか」とあり、この影響と思われます。

○「妙善寺」(春日部市飯沼1)

川辺小学校の東隣に、「妙善寺」があります。慶安2年(1649)3月、現在の松伏町の石川民部の創建にかかる俗称民部寺21ヶ寺の一つです。山号は地内(飯沼)の飯胡沼から取ったものであり、寺号は開基の石川氏の祖先である妙善禅尼(初代民部の妻)の法号によったものであるといいます。

○「飯沼香取神社」(春日部市飯沼96)

ふれあい公園の南西に、「飯沼香取神社」があります。御祭神は経津主命

【飯沼香取神社の算額】

算額は、和算の問題が解けたことを感謝して奉納した額で、立体問題と解答、弘化2年(1845)の年号、解答者名が記されています。

○「ふれあい公園」(春日部市東中野1194)

「ふれあい公園」は約3万平方メートルある敷地にあり、緑豊かな園内に開放的な芝生広場が印象的な公園です。芝生広場には、コンビネーション遊具や滑り台が設置されております。外周には桜が植えられており、満開となるとその風景は壮観です。

○「東中野香取神社」(春日部市東中野366)

南東に向かうと、東中野公園の南に「東中野香取神社」があります。本殿は一間社流造りで、蟇股に卍紋が刻まれています。明治43年に、向之内の愛宕神社駿河浅間神社・本村の白山神社を合祀しました。御祭神は経津主神

東中野の獅子舞】

毎年11月の第3日曜日に、地区内で「辻切り」と東中野香取神社で「奉納舞」が行われます。元来は別々に行われていました。「天下無双角兵衛獅子舞」ともよばれる勇壮な舞が特徴です。銚子口や赤沼の獅子舞と同様に、享保5年(1720)に現在の越谷市下間久里から伝わりました。

○「天神社」(春日部市東中野1565)

北東に向かうと、江戸川近くに「天神社」があります。明治7年村社となり、明治43年愛宕神社を合祀しました。昭和26年の江戸川改修工事に伴い、隣接地の新宿新田から現在地に移転しています。

○「花蔵院」(春日部市西金野井339)

北に向かうと、桜川小学校の北西に「花蔵院」があります。詳細不明。四脚門が有名です。

【花蔵院の四脚門】

四脚門とは、2本の本柱の他に4本の袖柱があるものです。江戸時代中期に建立され、当初は茅葺屋根であったと推定されています。江戸時代中期の建築と推定され、切妻の屋根に装飾・彫刻ともに美しさを見せています。平成19年から21年に半解体修理が行われました。

○「蓮花院」(春日部市大衾53)

南西に向かうと、東武線沿いに「蓮花院」があります。創建、開山は不明。最も古いもので嘉歴2年(1327)の板牌(板石塔婆)が境内より見つかっています。その他にも年号は不詳ですが、板牌の断片が数多く出ています。鎌倉末期には、寺もしくは庵のようなものがあったと考えられます。

【蓮花院の大ムク】

蓮花院の大ムクは、ニレ科の落葉樹で、幹回り6m、高さ27m、樹齢約400年といわれ、5本の大枝に分れています。

○「永沼八幡神社」(春日部市永沼2283)

西に向かうと、東武線沿いに「永沼八幡神社」があります。周囲300m、高さ10mの高台に鎮座し、木々に囲まれたその境内は、鎮守の森にふさわしい景観を示しています。明治7年に村社となっています。御祭神は誉田別尊・大雷命。

○「大衾香取神社」(春日部市大衾90)

北に向かうと、「大衾香取神社」があります。創建由来は不詳。御祭神は経津主命

○「庄和総合公園」(春日部市金崎746)

庄和総合公園」は、約14.9ヘクタール(東京ドームの約3.2倍)の面積を持つ都市計画公園です。公園内には、野球場・体育館などの各種運動施設の他、バーベキューの施設もあります。

○「金崎神社」(春日部市金崎674)

春日部市役所庄和総合支所の北に、「金崎神社」があります。元来は香取神社でしたが、明治5年に村社となり、明治41年の合祀を機に金崎神社に改めました。ただ、合祀の2社は、今も旧来の鎮座地に祀られているため実行されなかったようです。

○「西金野井香取神社」(春日部市西金野井1009)

春日部市役所庄和総合支所の東方に、「西金野井香取神社」があります。古くは金井明神と称し、天正19年(1591)に10石の朱印地が与えられ、同年に社殿が再建したと伝えられます。元禄年間建立の覆屋に収まる本殿は、一間社・流造り・桧皮葺・和様の端正な小建築で、室町時代末期の建立と推定されます。当社の存在は、かつてこの地域が下総国に属して、同国一宮香取神社の祭祀圏内にあったことを示しています。昭和26年の江戸川改修で現在地に移され、同49年度には部分修理と塗装復原を実施にて、往時の美しさを取りもどしました。

【西金野井の獅子舞】

香取神社に伝わる獅子舞は、7月下旬の夏祭りに、悪魔払い・五穀豊穣や雨乞い祈願の芸術として演じられてきました。獅子は三頭で、神社境内や氏子の家々を回って舞われます。とくに、道の辻で舞われる「辻切り」の曲は特色があります。

【西金野井香取神社の大ケヤキ

西金野井香取神社の大ケヤキは、樹令600有余年、高さ23m、幹回りで10mをはかるみごとな大木でした。しかし、周辺の市街化が進み、隣接する町道の交通量も増加したため、しだいに樹勢もおとろえ、昭和62年2月22日に西金野井の人々の見守るなか伐採されました。現在のケヤキは、昭和62年3月9日に新たに植えられたものです。

○「龍Q館」(春日部市上金崎720)

北に向かうと、「龍Q館」(りゅうきゅうかん)があります。国土交通省の洪水防御施設「首都圏外郭放水路」内に設置され、外郭放水路の機能や役割を紹介する他、地域との連携を図った総合学習生涯学習施設としての機能も備えています。

○「上金崎香取神社」(春日部市上金崎495)

西に向かうと、「上金崎香取神社」があります。「高島香取大明神」と呼ばれています。これは、寛永年間(1624-44年)創建にあたり水害が社殿に及ぶことを恐れ、村内一の高所を選び更に盛り土をしたため、水田に浮かぶ島のように眺められたことからの命名であるといいます。白川家の『諸国神社附属帳』に、寛保3年(1743)7月、当社が「香取大明神牛頭天王・伊勢神明」を祀り、村中廻持の社として同家に附属したことが載せられています。大正期に、村内西部にあった天神社と熊野社を合祀しました。

○「三宮神社」(春日部市上柳1603)

西に向かうと、「三宮神社」があります。その名が示すように、稲荷社・香取社・山王社の三社があります。口碑によると、まず慶長年間(1596−1615年)のころに当地に移住した石原氏が氏神として稲荷社を奉祭し、その後、元治年中(1864-65年)に開拓に従事した人々が、この稲荷社と道を隔てた地に村の鎮守として香取社を、また大正6年に稲荷社に隣接する妙印寺入口に山王社をそれぞれ祀り「三宮神社」に改称したといわれ、二度の合併により成立しました。西に中川が流れ、東側は国道4号線が通っていて、周囲は広い田園地帯です。

○「庄和延命院」(春日部市立野431)

第4号バイパス立野西交差点の北東に、「庄和延命院」があります。御本尊の阿弥陀如来坐像は、恵心僧都あるいは慈覚大師作といわれています。製作方法やその特徴から室町時代の作と推定され、台座の古文書から元禄10年(1697)に修理をしたことが分かっています。

【立野天満宮】(春日部市立野435)

延命院の南隣に、「立野天満宮」があります。社伝によると、創建は元久年間(1204−06年)に下総国東葛飾郡の金野井城主野本将監の没落後、一族が逃れてこの地に移住し、松ノ木(現千葉県関宿町木間ヶ瀬字松ノ木)の天満宮を勧請したことに始まります。その後、歳月を経て享保11年(1726)に至り、鎮座地の辺りが低地で水害を蒙りやすかったことを理由に、隣接していた別当延命院とともに、500m東北の現在地に遷座したといいます。明治7年村社となりました。明治22年に立野村を含む近隣7か村が合併し富多村が成立し、大正初めの1村1社制により、神間の石神社へ当社を合祀しようとしましたが、立野に有力者が多かったことから話は立ち消えとなりました。

○「富多神社(石神様)」(春日部市神間663)

富多小学校の西に、「富多神社」があります。明治22年、当時上吉妻・下吉妻・神間・小平・榎・椚・立野の七か村が合併して富多村が成立しました。当社は大正4年、富多村内に鎮座していた12社を合祀して新設され、富多神社と称しました。経緯として、大正3年10月25日に当時の村長であった大作新右衛門らによって誓願が出され、翌4年に実施されました。富多村の中心地が神間であったことから、境内地として現在の地がえらばれ、またこの土地は元々、合祀した神社の中の一社に当たる稲荷神社の境内地でした。当時の稲荷神社の境内地は、それほど広くなかったため、氏子の協力によって(周りの田に土を盛って)境内の拡張が図られた上で、遷座が行われました。一方、本殿は旧椚村の石神神社のものが移築され、口碑の伝によれば、石神神社の創建は徳治元年(1306)3月と推察され、正徳2年(1713)に修復されたことが確認されています。そのためか今もなお、当社のことを「石神様」と呼ぶ人も少なくないといいます。

【富多神社の土公神】

境内にある「土公神」(どこうしん)は、陰陽道における神の一人で、土をつかさどるとされ、仏教における「堅牢地神」(地神)と同体とされます。地域によっては土公様とも呼ばれ、仏教における普賢菩薩を本地とするとされます。

○「倉常神社」(春日部市倉常277)

北西に向かうと、「倉常神社」があります。社家の伝承によると、創建は延元3年(1338)3月であるといいますが、裏付ける資料を欠き明らかではありません。元来は、愛宕神社と称していました。明治7年7月に村社となり、明治42年4月に字須釜の無格社稲荷神社・無格社香取神社、字西内打田の無格社日枝神社の3社を合祀したことを機に地名を採って倉常神社と改称しました。御祭神は軻遇突知命

○「芦橋香取神社」(春日部市芦橋51)

芦橋交差点の南に、「芦橋香取神社」があります。創建由緒は不明。御祭神は経津主神

○「塚崎神社」(春日部市塚崎211)

東に向かうと「塚崎神社」があります。当地の鎮守は、香取社と天神社の2社でした。現在の社名は、明治40年に香取社と天神社を合祀したのを機に改称しました。現在の鎮座地は、天神社があった場所です。当時200坪あった村社香取社を44坪の天神社に移転したのは不明です。

○「小流寺」(春日部市西宝珠花327)

東に向かうと「小流寺」があります。

【小流寺縁起】

「小流寺縁起」は小流寺の創建記で、前半には、寛永年間(1624〜44年)に江戸川を開削した関東郡代伊奈忠治と、その配下で庄内領の新田を開発した小島庄右衛門正重の事績が書かれています。後半には、正保3年(1646)に庄右衛門が同寺を建立した経緯が記されています。跋文(ばつぶん)によると、明暦3年(1657)に伊奈氏の陣屋があった赤山(川口市)の草堂で執筆されました。

【小島庄右衛門の墓】

小流寺に、小島庄右衛門の墓があります。小島庄右衛門正重は、江戸時代初期の下総国葛飾郡庄内領の代官で、関東郡代の伊奈忠治と共に、寛永年間(1624〜44年)に江戸川の開削を行いました。

【凧揚げの話】

天保12年(1841)、生国出羽国山本郡水沢邑の西光寺の弟子・浄信という僧が、各地巡礼の折に宝珠花の小流寺に宿泊した時に、その土地の人々を集め養蚕の豊作占いとして凧揚げの話をしました。「繭の値段が上がる」と「凧があがる」の意味を掛けているといわれています。その占いを聞いて人々は、数十個の凧をあげて繭の豊作を占うというようになったと伝えられています。

○「宝珠花神社」(春日部市西宝珠花77)

西宝珠花交差点の東、江戸川近くに「宝珠花神社」があります。明治40年12月9日に村内にあった4つの社を合併し、1村1社とする目的で創建されました。西宝珠花には、村社天神社・香取社・浅間社・八雲社が祀られていたが、合祀政策により1社に統合するにあたり、村の中心部に近く比較的広かった浅間社境内に新しく社殿を建築し、村名を採って宝珠花神社と命名しました。昭和27年江戸川堤防の拡張工事に伴い、昭和28年6月1日付けで現在地に移転しました。社殿・諸施設は旧地からそのまま移されています。

【宝珠花神社の富士塚

境内の鳥居背面に、溶岩でできた富士塚があります。手入れも行き届いて保存状態もよく、今まで見た富士塚の中では一番立派です。なお、扁額は天保4年(1833)に富士登山121回を記念して奉納されたもので、表面には「三國第一山」の銘が記されています。

○「愛宕神社」(春日部市西宝珠花159)

宝珠花神社の南西、宝珠花郵便局の南に「愛宕神社」があります。宝珠花は、昔から宝珠花神社を鎮守として祀っていましたが、町の規模が大きくなりしばしば火災が発生したことから、「火之迦具土神」を火伏せの神として勧請したのが当社といわれています。明治以降、永く個人持ちの社でしたが、江戸川改修により新たに社地の寄進をうけて鎮座したのを機に昭和29年宗教法人となりました。

【西宝珠花陣屋跡】

宝珠花は、江戸川に面して河岸として栄えた集落です。愛宕神社の辺りが、陣屋跡地だといいます。

○「大凧公園(大凧会館跡地)」(春日部市西親野井637)

宝珠花神社の北西、大凧会館跡地に「大凧公園」があります。「大凧会館」(閉館)は、1階から4階までを吹き抜けにした展示室には、大凧あげ祭りで実際に使用された大凧(百畳凧)をはじめ、日本国内や世界各地の凧、約450点あまりを展示していました。なお、大凧会館は2011年3月の東日本大震災による施設損傷のため、長期休館となりました。その後、大凧会館は2014年10月より解体され、跡地に大凧公園が整備されました。

○「親野井神社」(春日部市西親野井479)

北に向かうと「親野井神社」があります。江戸川拡張工事が行われた大正9年に、地内の香取神社・稲荷神社・神明神社天満宮八幡神社厳島神社熊野神社の7社を合祀して成立しました。中心は、旧村社の香取神社です。境内にある神社前の桜は、「将門ざくら」と呼ばれ、かつて平将門が馬をつないだとされています。

クラシックカメラ。

最近年なんでしょうね。

クラシックカメラをよく譲り受けます。

親族の中で私のカメラ好きは知れ渡っているので、不要なカメラは知らず知らずのうちに私のところへ集まってきます。

こちらのカメラは先日90歳の誕生日を迎えた義父から譲り受けたものです。

ただ私自身、一世代前の金属のフィルムカメラはそれなりの知識は持っていますが、二世代前の蛇腹式カメラについては全く知識がありません。

この手のカメラは世界遺産的な価値があり、後世に引き継いでいくべきと考えていますので、少しカメラの素性を調べてみることにしました。

ネットで検索した結果、このカメラは1937年から1943年にかけて製造された、セミミノルタII型と判明いたしました。

第二次世界大戦が起こったのが、1939年から1945年なので、ちょうど戦前から戦中にかけて製造されたものということになります。

平和ボケした現在では考えられないことですが、当時の日本は戦争まっしぐら。

そして資源の無い日本は戦況厳しく、1943年から1945年の間は金属類回収令が施行され、国内中の金属が集められ、ゼロ戦の材料となっていた時代です。

このカメラも金属製なので、本来ならゼロ戦へと姿を変え、海の藻屑と消えさる運命だったかもしれません。

よく残ってくれたと思います。

ちなみに義父は1928年生まれなのでこのとき9〜15才。

このカメラの最初のオーナーは義父のお父さんだったのかもしれません。

当時の販売価格は105円。

サラリーマンの平均月収が125円くらいの時代ですから、現在の価格に換算すると約30万円というところですね。

食うや食わずの時代に相当な贅沢品であったことがわかります。

義父のお父さんはきっと資産家だったんでしょうね。

さて、カメラの名前はわかりましたが、このセミミノルタII型と言うカメラ、製造された6年間の間に何回も改良が施されているようです。

一番最後のモデルはII8型ですが、II1型からII7型があるのかはわかりません。

ただ、シャッターにセットレバーが付いていないのでII8型ではないことだけは確かです。

また、

前蓋を開くとファインダーも開くようになっている

裏蓋の赤窓が1つしかない

ボディーに手提げが無い

レンズ名がコロナ-ニッポン

たすきがストレート

なので、おそらく後期モデルだと思います。

主な仕様

456判スプリングカメラ

コロナ-ニッポン75mm/f35前玉回転式1m〜

クラウン製シャッターTB1/5〜1/200

自動起立式逆ガリレイファインダー

ZuluTribeRadioファミリー!

毎週月曜日はBrealTV&DashRadioでライブショー。

こんなメンバーで毎週本格的ヒップホップショーを行っています。日本のラップTVとは本格度が違うかも。ぜひ本物のヒップホップ、ラップ、DJカルチャーを覗いてみてください。

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vDjOggyさん(djoggy)がシェアした投稿-2月122018at10:13午後PST

32になりました。

本日で32歳の誕生日を迎えました。

ガッツリ厄年に入りましたよ!笑

毎年恒例なんですが、会社で誕生日をお祝いしていただいておりまして、今年もしていただきました。

ありがたいことに3回目のお祝い。

入社して色ありましたが、なんだかんだで3年目を迎え、あっという間だったなぁと振り返っています。

さて、今年のケーキは

こん感じです

ショコラ系とか苦手なものが多い中、ピンポイントで好きなの選んでくれました!

地元で有名なケーキ屋さんなので、安定の美味さ

たまらなかったです!

その他にもプレゼントを頂きました!

あたしは何もしていないのに、皆さんから頂きました。

感謝の気持ちでいっぱいです。

マグカップとペンケースをドラえもんにしているので、私はドラえもん好きと広まっておりまして。笑

ドラえもんのポーチが被るという。笑

今から何を入れようかワクワクしております

で、全身の方のドラえもんの中ってどんな風になっているのかな?と思い開けたら

更にプレゼントが!

ロクシタンのハンドクリームとチョコレート!!

サプライズ凄すぎ!!

ハンドクリームも大事に使わせていただきます!

最後に、私は無類の柿好きとも広まっていまして。。。

(某有名自動車メーカーの取材に行った時に、柿の木に実っている柿しか目がいかなかったという話をしてから。笑)

柿もいただきました!

真空パックで季節問わず食べれるという一品!

めっちゃ美味しいんです!

おばあちゃんに見つかったら食べられちゃうので、隠してあります。笑

日文句ばっかり言って、迷惑しかかけていないのに、お祝いのためにほとんどの方が定時過ぎても残ってくださってお祝いしてくれました。

本当、幸せ者です。

毎日毎日文句ばっかり言ってるやつにここまでしていただけるなんて。。。

良い仲間に恵まれていると思います。

30も過ぎても尚、大人の感覚を掴めきれないまま突き進んできてしまっています。

悩む日ももちろんあるし、迷惑ばかりかけています。

ここ最近では失敗ばかりで、落ち込む暇なんてないと奮起する日です。

親からヒシヒシと結婚という圧を感じる年にもなりましたが、まだまだ自己成長しなければと思う部分の方が多いです。

今年も自分なりのペース頑張っていこうと思いますの宜しくおねがいします。

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